エビデンス以上に大事だと思ったこと
エビデンスは大事。
身近に勤務医がいると、どれだけ重要かひしひし伝わる。
それは、生死を大きく左右し、責任問題にもなりかねない。
ただ、自分の生存がどうも厳しいと悟ったとき、
どんどん突きつけられる現実に…
エビデンスの無情、無慈悲…
みたいなものを、5年前にわたしはひしひしと感じたのね。
エビデンスのある治療(標準治療)では、もう希望はない。。。
高額商品、高額の治療に手を出す人の心理状態って、こういうときなんだなと思った。
術後しばらくのある診察のとき、わたしは主治医からの絶望的な言葉に思わず、
「先生から見られて、とても酷い状態の方で、それでも何とか回復された人はいませんか?」
「その人は何かしてませんでしたか?」
と、立て続けに叫ぶようにお聞きした。
主治医は、わたしの切実な表情に驚かれ、そして静かに目を伏せて、
「……黒にんにくとゴーヤのおかげだ!とか何とか言ってた人がいたなぁ……」と。消えるような声で。
温泉に通うことを相談した別の主治医は、「いいですねぇ〜」
「ゆったり過ごすのが何よりです」
あのとき、食べ物でがんは治らないよ、温泉でがんは治らないよ、とは言わなかった先生方。
わたしにとどめを刺すと、感じられたのだと思う。。。
でも、今なら、、、本当は言いたかった先生方の言葉がわかる。。。
「正論」を打ち出すことは、同時に、希望を奪うことでもあり、
生きたいと願う切実な気持ちを抹殺することにもなりかねない。。。
言葉を飲み込まれたのだと思う。
エビデンス以上に大事なもの。
治療に行き詰まった者が命の危険を悟ったとき、
生きる希望と現実問題のバランスが、少しでもうまくとれた状態になることが、
より良い予後になる可能性があるような気がする。
わたしの経験談に過ぎないけれど。