共感されないことからの気づき
病気になって病気のブログを書くようになったとき、
「やっぱり同じような境遇の人は、うまく言葉にできなくてもわかり合えるんだなぁ!」という共感、安心感が多々あった。
自分と似た思い、状況の人が他にもいる、一人じゃない。
このつながりは貴重だと確信した。
(言うまでもなく、この気持ちは今も変わらない)
一方で、がんでも何でもない健康そのものの友人の、何気なく口にしたことに…
最初は衝撃を受け、酷く傷ついてしまった。
「最近、みぃねこの(アメブロの)ブログはサッとしかチェックしない。すぐにトレンドの方を見るんだ〜」
「病気のことがメインのブログだからそうなるのだとは思うけど、もうすっかり病気のブログの住人だよね。せっかくQOL(生活の質)はいいのに」
「もしかして、誰かが悪化したら相手を心配してその次には、自分もいずれ…とか思ってない?
最近のみぃねこは、この病気は仕方ないと、再発や悪化を覚悟して待ってるような気すらする」
この言葉に視界が真っ暗になるほどショックを受け…
よろけるように人のいないところに行き、悔しい、悲しいとさめざめ泣いてしまった。
がんじゃない人には、再発や悪化に怯える気持ち、
命には期限があると思い知らされた悲しみは理解できないんだなぁ…と、このときは心の底から思ったのよね。
でも。その出来事を機に、気づいたことがあったの。本当に、なぜ今まで気づかなかったのかわからないぐらい。
ふたつ並ぶ世界の中で生きていたということ。
「ステージ4の固形がんと、今なお不治の病と言われている血液がんの経過観察中であり続けたわたし」と、
「フルタイム勤務のわたし」がいっしょに並ぶ世界に生きていて…
今は後者寄りに生きているのね。
でも、その自覚がなかった。
ずっと、病気が見つかった頃、告知を受けて見える景色が変わったこと、術後に病理検査結果を聞いたときのこと…
引きずりながら歩いていたのだと思う。
病気とのかかわり方も、その時々に変わって行くこと、変わって行かなければいけないことを友人の強い言葉で気づかされたの。
ぶれていた軸を正してくれたと思っている⭐
せっかく、そう、QOLは良いのだから今は前を向いて力強く歩むとき。
どれくらい久しぶりだろう…
感激してしまった、店内での休憩