誰も見ないブログを書く意味
このブログを始めたとき、「ずっと誰も見ないブログ」でも、とにかく書き続けるのが前提だったの。
わたしの近況を心配してくれる人たちにブログの存在をお知らせすることはあっても、「見てくれてる?」と半強制することなく。
わたしが初めてブログに手を出したのが、今はなきヤフーブログ。当時けっこう病んでて…
気持ちを出す、そして整理したかった。
そう、「王様の耳はロバの耳!」と同じ、誰にも言えないことを吐き出す場所が欲しかった…
3ヶ月ぐらい経った頃かな。同じような気持ちでいる人がいることを知ったのね。
「救われました」
と言ってもらえて、びっくりした。そしてすごく嬉しかった。。。
どうせ書くなら、わかりやすく、わからないことは調べながら。そしたら文章を書く練習になるし、
もしかしたらいつか、人の目に触れるようになるかもしれないし…
ただそんな気持ちで、公開設定にしていただけなのにね。
そんなブログだったのだけど…
わたしにとってはいよいよ行き詰まるときが来てしまい…
ブログから離れる、削除するつもりで、そのブログを読み返すことにしたの。
そしたら意外にも、削除するから最後のつもりが…
しばらく読むうちに、ポタポタ、ポタポタ…涙がこぼれてきて…
「この(辛い)ときにも懸命に生きようとしていた自分」みたいなものを感じたのね。
そうだった。このときも乗り越えられた。だから、またきっと乗り越えられるはず…
誰も見てくれないブログでも書き続けること。それは、自分に水と栄養を少しずつ与えることだと思うんだ。
そこからどんな芽が出てくるかはわからない。
どんな芽が出るか、どんな花が咲くか…
たとえ、花がうまく咲かなくても、枯れてしまっても、わたしは「いつか読み返す日が来るまでのタイムカプセル」…だと思って書いてる。
でもできれば…
そのとき、笑って読み返せたらいいな。